■寄稿
「謝る」ことの難しさを越えて
御田寛鯨
日本人の「自覚と反省」を呼びかけた首相
とかく「謝る」というのは、難しい。子どものころから皆、「悪いことをしたと分かったら、ちゃんと謝るんだよ」と育てられてきたと思う。しかし「言うは易く行うは難し」の代表格だ。特に、時間がたってしまうとなるとなおさらだ。
「なぜ、自分だけが」という思いも出てくるだろう。相手の言っていることが、腹にすとんと落ちるのには、それなりに、時間がかかる。
日本と韓国の「戦後補償」の問題は、法的な諸課題をいったん横に置いて日常生活の感覚で考えれば、「植民地時代には本当にひどいことをした」との認識を共有した上で、謝罪と補償を行うことになるだろう。そうは言っても、今の日本政府は解決済みとの立場を繰り返しており、現実感はないかもしれない。だが一昔前は、ひどいことをしたと考えた人は、少数派ではなかったのだ。
自民党政権でも、かつての首相が植民地支配について、国会答弁で見解を明確に示している。少々長いが紹介しよう。1989年3月30日、政界を揺るがしたリクルート事件で、苦境に追い込まれていた当時の竹下登首相(故人)の衆院予算委員会での答弁だ。
「日本政府及び日本国民は、過去における我が国の行為が近隣諸国の国民に多大の苦痛と損害を与えてきたことを深く自覚して、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を今日まで歩んできたわけでございます」
「そのような自覚と反省は、歴史的にも地理的にも我が国と最も近接しております朝鮮半島との関係においても、とりわけ銘記さるべきものであると考えております」
「朝鮮半島をめぐる情勢が新たな局面を迎えておりますこの機会に、改めて、同地域のすべての人々に対し、そのような過去の関係についての深い反省と遺憾の意を表明したい、このように思います」
https://kokkai.ndl.go.jp/txt/111405261X00919890330/32
「日本国民」にも問われること
2022年の今から、この答弁を読み直すと、注目する点が二つある。
まず、「日本政府及び日本国民は」となっていることだ。政府だけでなく、日本国民も、深い自覚、反省の主体であるということだ。日本国民は、戦争と植民地支配に対し、本当に、深い自覚、反省をしてきただろうか、それを、国際社会にちゃんと示すことができただろうか。そのことが、問われている。
次に、この答弁は「同地域のすべての人々に対し」語りかけているということだ。
この答弁をきっかけに、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交回復が、日本外交の課題となっていった。紆余曲折を経て未完のままであるが、日朝平壌宣言という形で、いったん結実している。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html
強調したいのは、1965年に調印された日韓基本条約と請求権協定があってもなお、政権トップの首相が1989年の段階で、韓国も含む朝鮮半島の全ての人々に「過去の関係についての深い反省と遺憾の意を表明したい」としたことだ。
2015年、竹下登と親しく付き合ったことがある老地方議員経験者に出会った。根っからの保守派なのだが、韓国との民間交流をライフワークにしていた。すでに第2次安倍政権となっており、ネットには嫌韓コメントがあふれていたころだ。
民間交流に取り組んだきっかけを尋ねると、竹下の薫陶を受けたことだという。1980年代のことだ。竹下は、「日本で自由と民主主義の政治ができ、経済発展を謳歌できるのは、朝鮮半島で韓国の若者が、北朝鮮、中国、ロシアと相対してくれているからだ。それを、私たちは忘れてはいけない」と語ったという。
1989年3月の国会答弁のスピーチライターは、外務審議官まで務めた外務官僚である田中均だったことが、その後の報道で明らかになっている。田中の東アジア外交への戦略的な発想の発露だったとの見方があるが、戦中派の竹下の歴史認識に基づく地政学的発想が、田中の原稿を受け入れる土台になっていたことは間違いない。
生活者の感覚で考えてみよう
しかし、戦後補償をめぐっては、これまで挫折が繰り返されている。「慰安婦」問題に関する、アジア女性基金(1995年~2007年)では、韓国の当事者とのコミュニケーションが破綻した。その結果、「慰安婦」の方々が傷つき、日本でも多くの人々が傷ついた。
その後、歴代の首相は「慰安婦」におわびの手紙を送っているが、その気持ちが当事者の心に届いたという報道は残念ながら見当たらない。「謝る」というのは、本当に難しい。
2015年末、安倍政権と朴槿恵政権による「慰安婦」問題に関する合意は、成立直後から厳しい批判にさらされた。謝罪と補償の性格が大きな論点となった。ここでも「謝る」ことの難しさが際だった。多くの当事者が高齢で亡くなっていく中、さらに難しさは増していった。
徴用工問題を巡っては、韓国最高裁が元徴用工らへの賠償を日本企業に命じた初の確定判決から4年となる。尹錫悦政権は、賠償金を韓国の財団に肩代わりさせる案で、年内の解決策確定と尹大統領の早期訪日を狙っているという。一方、原告は反発しており、韓国世論の支持が得られず破綻するリスクを抱えている。
この状況に、私たち(日本国民)は、どう向かいあえばいいのだろうか。「慰安婦」問題では、首相が国会で答弁し、おわびの手紙を出しても、それは当事者の心に届くものにならなかった。もちろん、歴代の首相の全員に、誠実な謝罪の気持ちがあったのかという疑念は拭えないが。
生活者の感覚で、徴用工問題や「慰安婦」問題を考えてみよう。
遠い植民地時代に、損害賠償が裁判所で認められるほどひどい目にあったおじいさん、おばあさんが、謝罪と補償を求めているのだ。今を生きる日本人一人ひとりは、日本企業1社1社は、国民を代表する国会議員、住民から選ばれた地方議員は、彼らの声を受け止めることができないのだろうか。「ないもの」として無視することが、どれだけ当事者を傷つけてきたか。それは、差別そのものではなかろうか。
損害賠償の当事者の企業が金を払えば、それでいいのだろうか。韓国の財団が肩代わりすれば、それで済むのだろうか。時間は無情に流れていく。「謝る」のは本当に難しい。しかし「謝る」ことができなくなることは、もっと恐ろしい。私たち日本人は今、東アジアの中で、そんな時代を生きている。
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