金景錫・日本鋼管強制連行裁判の意義

 2021年12月18日、「金景錫・日本鋼管強制連行訴訟から30年 たった一人で始めた裁判が切りひらいた地平」集会がオンラインでもたれた。

 金景錫さん(1926~2006)は1942年に日本鋼管川崎製鋼所に兄の代わりに強制連行された。そこでストライキに参加して会社側から暴行を受けたため、腕に後遺症が残った。1991年9月に渡日、その際、手書きの訴状を作成して、裁判に立ち上がった。そして1999年、東京高裁で勝利的和解を勝ち取った。また、不二越訴訟や江原道訴訟を起こし、強制動員被害者の尊厳回復にむけて活動した。

 2018年、韓国大法院は日本製鉄と三菱重工業の強制動員被害者(元徴用工)に勝訴の判決をだしたが、金景錫訴訟はその嚆矢であった。今年はその提訴から30年目にあたる。

 

集会では、はじめに日本鋼管訴訟を担当した梓澤和幸弁護士日本鋼管訴訟の概要と意義を示した。1997年の東京地裁判決は、金景錫さんが日本鋼管で監視されての重労働の下にあり、その中でストに参加、それに対し日本鋼管側が暴行を加えて傷害・後遺症を負わせたとし、日本鋼管側の関与の事実を認定した。その後、東京高裁では和解交渉に入り、一審での事実認定を基礎に、日本鋼管側が「障害をもちながら永きにわたり苦労したことに対し真摯な気持ちを表する」とし、410万円を支払うことで和解が成立した。和解は裁判長がその文を読み上げる形で成立した。

 

梓澤さんは、金景錫訴訟は強制連行企業裁判の先鞭であり、それは植民地主義清算・人種主義撤廃の流れの一環であること、現在の韓国大法院徴用工判決に対して日本政府や市民は無理解であるが、その克服が求められると訴えた。そして、金景錫さんから亡くなる直前に送られてきた解読困難な字体の書信を読み解き、その被害回復に向けての熱い思い、その精神を我が物として活動するという方向性を語った

 

続いて、日本鋼管訴訟の支援者が金景錫さんとの交流について話した。全造船関東地協労働組合の持橋多聞さんは、金景錫訴訟の支援が強制連行企業裁判全国ネットワークの結成、ILOへの提訴につながった。植民地支配と強制連行への謝罪と補償なしには信頼と共生の関係は作れない。その平和への作業には人生を賭ける価値があると話した。日鉄元徴用工を支援する会の山本直好さんは、日本鋼管フィールドワーク、日鉄裁判への金景錫さんの連帯挨拶、江原道遺族会の活動、家族との交流等を示し、金景錫さんの「暁を知らせる鶏の首を切っても正義の太陽はのぼる」という闘争継続への思いを示す言葉を紹介した。 

 

太平洋戦争被害者補償推進協議会の李熙子さんは、金景錫さんの強制連行を体験した証人としての行動力、情熱、統率力を評価した。そして、強制連行の事実は否定できない、日本政府は解決済みというが、政府・企業にはとるべき責任がある、失望を希望に変え、共に闘いをすすめようと呼びかけた。

 

最後に、過去清算共同行動の矢野秀喜さんが、金景錫訴訟は日韓市民が植民地主義の清算に向けて連帯して闘うという活動の出発となった、その活動は日韓の司法が強制動員の事実を認定し、そして企業の不法行為責任を認定するという地平を切りひらくことにつながった、韓国大法院判決を基礎に、被害者の尊厳回復に向けて闘いをすすめようとまとめた。

 

2021年、日本政府は「強制連行」の用語は不適切とし、歴史教科書の記述に介入し、その記述から強制連行の用語を削除させた。また、産業革命遺産の展示では強制労働はなかったという証言を示している。韓国大法院判決に対しては「国際法違反」(日韓請求権協定違反)、「解決済み」と宣伝している。しかし、戦時の朝鮮半島からの強制連行・強制労働は歴史の事実であり、強制労働の被害者は存在する。それにも関わらず、日本政府は戦時の強制連行・強制労働を否定するようになったのである。それはいまだ問題が解決していないということである。

 

 金景錫訴訟の東京地裁判決は金さんが兄の代わりに官斡旋の動員に応じざるをえずにソウルに出向き、日本に送られたにもかかわらず、それを強制連行と認定しなかった。日本鋼管による暴行は認定しても、時効を適用して棄却した。99年の企業和解では、日本鋼管は法的責任を認めずに和解金を支払った。続く戦後補償訴訟では日本政府は日韓請求権協定による解決済み論を展開し、訴訟の棄却を求めた。だが、2018年の韓国大法院判決は、強制動員と強制労働、企業の賠償責任を認定し、時効論を排除し、企業ヘの動員被害者の賠償請求権は請求権協定では未解決であるとした。これまでの言い逃れに、終止符を打ったのである。その意義を確認し、判決を実現させ、被害回復、平和の構築に向けての活動をすすめることが求められる。            (竹)